KM's BLOG

自由に発信するブログ。

MENU

インプットの質と着眼点

インプットよりもアウトプット

とよく言う。

 

ただし、

インプットしない人が

アウトプットしても

よく分からない情報の

垂れ流しにしかならない。

 

よって、ある程度のインプットも必要。

何からも吸収できない人は

情報発信なんてできない。

インプットとアウトプットは

セットなのである。

 

今日の記事は、もしかしたら

ネタがない人のための処方箋

になるかもしれない。

 

ブログでアウトプットする

(記事を書く)場合、

インプットの質よりも

着眼点の方が大事かもしれない。

という話。

 

目次

 

活かせない情報

例えばTwitter。

当たり前だけど

有益じゃない情報がほとんど。

 

その中で人々は

自分が有益だと思う情報を発信する人

をフォローしていく。

そうしないと、

時間がいくらあっても足りない。

 

情報の取捨選択が大事とはよく言う。

 

しかし、

情報を絞っていれば

素晴らしいアウトプットが

確約されているか、というと

微妙である。

 

極端な例を挙げると、

「コミュニケーション術」

という情報を引きこもりの人が

学んだところで、

その人が外に出て人と会話しないと

(或いはネットを通じた会話でもいい)

その情報が活かされることはない。

 

情報に価値がある、とはよく言うが

活用できない情報は無意味であり

無価値である。

 

つまり、コミュニケーション術は

活かせない人にとっては

無意味であり無価値になりうる。

 

かなり乱暴な言い方になるが

自分が活かせない情報に価値はない。

 

十人十色の基準と価値観

楽しい・楽しくないという価値観も

これと同じ。

読書が楽しい人からしたら

読書の時間というのは

素晴らしい価値を持つが

読書が楽しくない人からしたら

地獄でしかない。

 

人は自分が楽しくないと

感じるものには、

普遍的に価値が

存在していたとしても

価値を感じないようにできている。

 

上記の引きこもりの人の例に

あるように、

自分が価値があると思って

取得した情報が活かせない場合は

徐々に価値が消える。

 

人によって価値がある情報は

変わるのである。

 

それは置かれた状況や

年齢によっても変わるだろう。

性別の違いでも変わるだろう。

 

つまり、自分が価値があると

思っている情報も、誰かかしたら

不要な情報になりうる。

 

 

誰かに向けて情報発信する場合

万人に必要な情報は

発信できないということを悟るべき。

 

 

何が言いたいかというと

インプット=他人のアウトプット

という図式に気づく必要がある。

 

 

インプットの質がどうのこうの

という議論はある。

閉鎖的なコミュニティで

重要な情報が共有されるように

なっているとも言われている。

(オンラインサロンとか。)

 

ここではオンラインサロンについて

その是非を問うことはしない。

ただ、

閉鎖的コミュニティというのは

万人が知るべき情報が

そこにあるわけではないのである。

 

そこに所属していることに

満足するのではなく、

そこで得た情報を行動に移したり

知見を血肉にして自分の

情報発信のネタにする、

そこでいろんな人と交流して

自分の価値観を

何度も塗り替えるような

パラダイムシフトは必須と言える。

 

そこで何を得るかではなくて

自分なりに考えて行動すること、

つまり

自分の視点から何に気づけるか?

という着眼点こそ重要になる。

 

着眼点を重視する

そこで価値を持つのが着眼点。

有益な情報というのは

ちゃんと見ていれば

そこら中にきっとある。

 

何かを吸収したら

何か感じたことを書いてみる。

 

僕のブログで言えば

「ブログが書けない」という状態すら

インプットになり、

アウトプットの対象になる。

 

ブログが書けない人のための処方箋

という形式でブログを書きやすくする

ためのヒントのような記事を

このブログでは書いてきた。

 

www.kinyokumens.com

www.kinyokumens.com

www.kinyokumens.com

 

これらの記事は

「ブログのネタがない」

「書く気がしない」

「有益を意識してしまう」

というような

ブログが書けない人の

悩みを自分なりにインプットして

アウトプットした内容。

 

ブログが書けない、という

ささやかな日常でさえ

ネタにしてアウトプットにできる

ということを知って欲しい。

 

着眼点さえ鍛えれば

何気ない日常も十分に

インプットや

アウトプットの対象になる。

 

インプットの質とは何か。

それは個人の持つ独特の着眼点の

斬新さ、鋭さにあると思う。

 

どうでもいいことを

面白おかしく話すお笑い芸人。

 

どうでもいいことを

動画にして稼ぐYoutuber

 

僕が同じことをインプットしても

彼らのような着眼点をもって

情報を組み立てることはできない。

 

着眼点トレーニング

インプットを

赤裸々にアウトプットしてみること。

それが着眼点のトレーニング。

 

僕もこのブログでこれだけ

自由に書けるようになるまでに

旧ブログで200本以上の記事を

書いてきた。

 

それゆえにブログが書けない

というテーマだけでも

複数の見方ができて、

ブログ記事の肥やしにできる。

 

お笑い芸人に至っては

数千~数万というステージを

こなして着眼点を鍛えてきたから

あれだけ人を笑わせることが

できていると思う。

 

Youtuberも

面白おかしく再生回数が

伸びるように工夫を凝らして

動画編集や撮り直し、

何百~何千という動画を撮っている。

 

雑記ブログでないなら

オススメはしないが、

雑記ブログでネタが切れる

ということはやはり考えにくい。

 

着眼点のトレーニングを

続けることで、どうでもいいことを

面白く発信できるようになってくる。

 

そこまでくればきっと

ネタに困ることはほとんどない。

 

※むしろ、

 ブログを書く時間が取れない

 などの別の悩みが

 出てくる可能性がある。笑

 

着眼点のトレーニングは

ブログに限らず

 

・Twitter

・Youtube

・Radiotalk

 

等でも代用できるはず。

どうでもいいこと✖着眼点こそ、

無限の可能性を秘めている。

 

インプットの質は

インプットした内容も重要だが

それ以上にそのインプットを

どこまで自分の着眼点から

肥やしにできるかにかかっている。

 

これを意識できるようになれば

自分のアウトプットがまた、

誰かのインプットになる

ということが理解できる。

 

それが理解できれば

好きに書くことと

読み手を意識することの両立も

見えてくる。

 

ただ書いていたはずのブログが

いつの間にか意味を持ち始める。

 

自分にしかない着眼点を磨くことが

自分にしかできない

アウトプットになる。