KM's BLOG

日々の自己改善で人生を彩るブログ。

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マウンティングという病

「マウンティング」という言葉を

聞いたことがあるだろうか。

 

意味は簡単に言うと

自分の方が相手よりも

優位であることを示す

主張・行動である。

 

嫉妬や闘争心をこじらせると

マウンティングになる。

 

しかし、実際にこれまで生きてきて

マウンティングしたことがない人は

もはや珍しいと思われる。

 

何なら僕もやったことがある。

というか、この記事そのものが

マウンティングである。笑

 

ネットの世界では

このマウンティングが

尋常じゃないくらい蔓延っている。

 

自分自身も経験したこの

マウンティングという病を

考察していこうと思う。

 

目次

 

自覚症状がない

自分がマウンティングをしている時。

その時は自覚症状がない。

これがこの病の恐ろしい所である。

 

傍から見るとマウンティングと

すぐ分かるのだが、自分で

「今、俺マウンティングしてる」

という自覚はない。

というか、自覚できない。

 

時間が経つと徐々に

当時の自分を客観視できるようになる。

すると、マウンティングして

しまっていたことに、

その時初めて気づくことになる。

 

大体、正しいことと

間違っていることなどの

議論の末にマウンティングに至る

ことは多い。

 

その際の議論というのは

だんだん当初の目的から

ズレてきて、

議論から良い結論を導き出す

ことが当初の目的だったとしても

相手を論破することが

目的になっていく。

 

相手を論破することが目的に

なった時点でマウンティングである。

 

「俺の言ってることが絶対正しい」

は確かにそうであっても

その人が優位であるとか、

その人が偉いとかにはならない。

 

この記事もマウンティング

この記事もまた、

マウンティングである。

 

まるでマウンティングを

客観視できているかのように

書いているから、

マウンティングに対する

マウンティングである。笑

 

マウンティングを批判することは

マウンティングは醜い、

マウンティングは無益、

マウンティングは無駄

というような観点から生じる。

 

一方で、それは

マウンティングをしない俺=優位

ということになる。

 

この状態でいることを

黙っていればいいものの、

どうも人間というのは

黙っていられないらしい。

 

SNSで発信してしまうのである。

 

マウンティングしていない

つもりの本人が1番

マウンティングしているのである。

 

マウンティングというのは

世界一感染力の強い伝染病である。

この病を無くす薬は存在しない。

 

僕たちはなぜこんなにも

自己優位性をアピールして

しまうのだろうか。

 

それをやらないと

命が持たないのだろうか。

 

結局のところ、

「自分が優位だ」

と信じていたい願望が

その根底にはあるのかもしれない。

 

優位性という自我

いつからか僕たちは

自己優位性=アイデンティティ

と勘違いしているのかもしれない。

 

特に、SNSが発達してから

この風潮は強化されたように思う。

 

※ただし、SNSは便利なので

僕は一概にSNSを批判しない。

 

個人が影響力を持つように

なったからこそ、

個人の影響力=優位性

というアイデンティティを

見出してしまっている。

 

運動していれば偉い、

稼いでいれば偉い、

勉強すれば偉い、

そもそも偉いってなんだ?

 

誰かの優位性を獲得するために

生まれた言葉なのではないか。

知らないけど。笑

 

マウンティングは自己満足。

ついでにこのブログに

関連させて言うと

自己改善も自己満足である。

 

自己改善すれば偉いとか、

そんなことはない。

完全に自己満足である。

 

それを誰かに誇るのは違う。

自己改善は

誰かと共有していくものである。

 

この「共有」という過程をこじらせて

周囲の理解が得られなかったり

周囲を見下したりすると

マウンティングが始まる。

 

極端な例を挙げると

自己改善しない人=ダメな人

という感じである。

 

人を判断するモノサシは

皆それぞれ持っているので

人を見下すことは誰にでもある。

 

それを表に出すか、出さないか。

出せばマウンティング。

 

また、マウンティングは

勝ったところで自分より上も

下も無数に存在しているので

キリがない。

 

マウンティングを防ぐには

マウンティングになる前に

自分を止めること。

他人の誤りを指摘する時に

間違っていることは

間違っているという指摘をする。

それで相手が納得しないならもう

ほっとけばいい。

そこから無理やり論破しようとすると

マウンティングになる。

 

しかも、

無理やり論破しようとすればするほど

相手も躍起になって納得しなくなる。

 

結局、

本当にコチラが正しいのなら

後から相手は謝ってくる。

「あなたが正しかった。」と。

 

そもそも人間は誰しも間違える。

そこは防ぎようがない。

意外にも、正論を押し付けない方が

相手は失敗してそこから学ぶ可能性もある。

 

良かれというアドバイスが

マウンティングに発展しないように

十分注意を払う必要がある。

 

最後に

先程も述べたが

この記事もマウンティング。

 

マウンティング=病

という認定をすることによて

マウンティングしない人=優位

と位置付けている節があるからだ。

 

僕もマウンティングする時はする。

というか、誰もがやる時はやる。

 

とはいえ、何が正しいか

正しくないかというのは

そこまで重要なのだろうか。

 

何が優位で何が劣位というのは

そこまで重要なのだろうか。

 

無論、重要である。

(どっちやねん。笑)

 

ただし、それが

血眼になって、必死になって

相手を説き伏せてまで

主張する必要があるかどうかは

よく考えてからにした方がいい。

 

それでも必要があれば

その時はマウンティングするべき。

 

僕たちはマウンティングという

病と上手に付き合うしかない。

 

この病は人間がいる限り

無くならないからである。

この記事がマウンティングの

予防接種となることを願う。